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作品名:幸せのバトン
原作:清原 登志雄
校正:橘 はやと / 橘 かおる
イラスト:姫嶋 さくら
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【第1部 あき子の入院】

 妹のあき子ちゃんが生まれたのは、まさお君が小学校に入学した年でした。
お父さんと一緒に、お母さんが入院している病院へ行くと、お母さんのベッドの脇に
小さな赤ちゃん用のベッドが置いてありました。その小さなベッドの中に、
赤い顔をした小さな赤ちゃんが眠っていました。これがまさお君とあき子ちゃんとの初めての出会いでした。

『赤くって、ちょっとお猿さんみたいな顔だけど、なんて小ちゃくって可愛いんだろう』

まさお君は、思わず顔がほころんでしまいました。まさお君が赤ちゃんにそっと顔を
近づけると、ミルクの甘い香りがしてきます。

『僕はお兄ちゃんになったんだ』

まさお君は、心の中で嬉しさがこみ上げてきました。

 数日すると、お母さんとあき子ちゃんが退院してきました。お父さんもお兄ちゃんも大忙しです。
お父さんは、会社から帰ってくると、あき子ちゃんをお風呂に入れます。
お母さんは、その間にあき子ちゃんの着替えやバスタオルを用意し、とても忙しそうです。
まさお君もお母さんのお手伝いをして妹の面倒をよく見ます。あき子ちゃんは、
お兄ちゃんが赤ん坊の頃使っていたベビーベッドの中で、スヤスヤとよく眠ります。
まさお君は、あき子ちゃんの寝顔がとても好きでした。
小さなあき子ちゃんの寝顔はまさお君の気持をとても優しくしました。

何ヶ月かすると、あき子ちゃんはお兄ちゃんがあやすと

「ウックン、ウックン」

と小さな声をあげて笑うようになりました。もみじのようにかわいい手をバタバタさせます。
まさお君は、学校から帰ると毎日のようにあき子ちゃんの世話をしてあげました。

「優しいお兄ちゃんがいて、あき子は幸せね」

お母さんが言いました。

 あき子ちゃんは、やがてハイハイをするようになり、つかまり立ちをしたかと思うと、
すぐにヨチヨチと歩き出しました。お母さんはちっとも目が離せません。
家の仕事をしながらハラハラのし通しです。特にお母さんが忙しそうな時は、
お兄ちゃんがしっかりと面倒を見ました。おやつもお兄ちゃんの分を少し分けてあげます。
小さなあき子ちゃんののどに詰まらせないように、まさお君は小さくちぎって少しずつあげます。
そのたびにあき子ちゃんはとても可愛い笑顔を見せます。そして、お兄ちゃんが学校から帰るのを、
ずっと待っています。優しいお兄ちゃんが大好きなのです。あき子ちゃんは
優しい両親とお兄ちゃんに見守られてすくすくと成長しました。

 それから何年か過ぎ、あき子ちゃんが幼稚園に入ったある日の事でした。
突然体調が悪くなり、あき子ちゃんは入院してしまいました。お母さんは病院に付きっきりです。
お父さんはとても辛そうな顔で、まさお君に言いました。

「あき子はとても難しい病気で、もしかしたら治らないかもしれない」

聞いていたまさお君は声も出ません。頭の中が真っ白になり、黙ってただお父さんの顔を
見ているばかりでした。どうしていいのか分かりません。一人になると、涙が後から後からあふれてきます。

「お兄ちゃん、お帰り」

学校から帰ると、大きな声で嬉しそうに出迎えてくれた、可愛いあき子ちゃんの姿が目に浮かんできます。

「どうして病気になんかなっちゃったんだ」

まさお君は、悔しくて唇をぎゅっとかみしめました。学校へ行っても、
いつもあき子ちゃんのことが頭から離れません。勉強していても、うわの空です。

「まー君、遊ぼ」

友達が誘いに来て一緒に遊ぶのですが、いつものように楽しいとは思えません。
おいしいおやつを食べてもちっともおいしくありません。

『あき子が元気だったら半分こするのになあ』

お兄ちゃんから嬉しそうにおやつをもらう、あき子ちゃんの可愛らしい笑顔が目に浮かびます。

『神様!妹の病気を治して下さい』

思わず手を合わせていました。その時まさお君の頭の中に幼い頃、
両親に連れて行ってもらったお地蔵様の顔が浮かびました。確かお父さんは

「このお地蔵様はね、薬師地蔵といってどんな病気でも治してくれるんだ。
 病気で困っている人は、よくお参りにくるんだよ」

そう教えてくれたはず。

『そうだ!お地蔵様に頼もう』

まさお君は、辛い気持ちが少しだけ軽くなりました。

 次の日、まさお君は学校からの帰り道、少し遠回りになるのですがお地蔵様に会いに行きました。
少しでも早く、あき子ちゃんの病気を治してもらいたかったからです。お地蔵様は、国道から少し入った、
木立に囲まれた境内にひっそりと建っていました。幼い頃に見た時と同じように、
とても優しそうな顔をしていました。境内には誰もいません。セミの鳴き声と、
国道から車が走り去る音が聞こえてくるだけです。まさお君はポケットからハンカチを取り出すと、
額の汗を拭きました。あき子ちゃんの事を思うと、心が焦って早足できたからです。
息をととのえ、お地蔵様に近づくと近くの平たい石にランドセルを置きました。
そしてお地蔵様の前にしゃがんで手を合わせました。

『お地蔵様、僕の大切な妹が病気になってしまいました。一日も早く、妹の病気を治してください。
 妹の病気が治るんだったら、僕は何でもします』

まさお君は、あき子ちゃんの為に、一生懸命お願いしました。何回も、何回も
お願いしました。まさお君がお願いをして、ふと顔を上げた時です。
お地蔵様の足元に小さな丸い石がありました。


【第2部 ふしぎな石】

「なんて、まん丸い石なんだろう。お地蔵様、ちょっとだけ僕に貸して下さい」

まさお君は、その石をそっと持ち上げてみました。

『何か不思議な石だなあ』

石なのにあまり冷たく感じません。まさお君がその石を両手で包むと、
気のせいか辛い気持ちが少し楽になるような気がしました。

『そうだ!あき子の事も、この石にお願いしてみよう』

 まさお君は石を両手で包んだまま、あき子ちゃんの病気が治るようにお祈りしました。
次の日も、また次の日も、毎日まさお君は学校の帰りにお地蔵様の所へ行きました。
そして、置かれている不思議な丸い石に向かって、あき子ちゃんの病気が治るようにお願いしました。
まさお君は、病気で入院しているあき子ちゃんのことを思うと、雨の日も風の強い日も
少しも辛いとは思いませんでした。そしてお地蔵様は、いつもまさお君を優しく迎えてくれている様でした。

 あき子ちゃんが入院したのは、夏休みに入る前のとても暑い頃でした。
いつしか季節は秋を過ぎ、冷たい木枯らしが吹く冬になっていました。
あき子ちゃんの病気は、中々良くなりません。まさお君がお見舞いに行くと、
あき子ちゃんはベッドの上で嬉しそうな顔をしますが、元気がありません。

「あき子、早く良くなってお兄ちゃんと遊びたいな」

ポツリと言いました。

『一日も早く、あき子の病気を治してもらおう』

境内には、赤や黄色の葉っぱが舞っています。
冷たい木枯らしが吹く中、今日もまさお君はあき子ちゃんの為に、丸い石に一生懸命お祈りしています。
まさお君には、数日前から不思議に思っている事がありました。まさお君の手の中に包まれた小さな丸い石が、
気のせいか日に日に暖かくなっていくのです。寒さでかじかんだ手がその石を包んでいると、
不思議と暖かくなってくるのです。手が暖かくなると、心も温かくなるような気がします。
まさお君が、かじかんだ手にそうっと息を吹きかけ

「早く、あき子の病気が治りますように」

そうつぶやいた時です…どこからか優しいおじいさんのような声が聞こえてきました。

「その石をもって、妹のところに行きなさい。その石にはお前の妹を思う温かい心が入っている。
 その優しい心が妹の病気をきっと治してくれるだろう」

まさお君は周りを見回しましたが誰もいません。
冬の夕方、時間はまだ早かったのですが、辺りはもう薄暗くなっていました。

『誰だろう?』

木枯らしの吹く中で、まさお君はちょっとの間考えていましたが

『今の声は、きっとお地蔵様だ。お地蔵様が僕に声をかけてくれたんだ』

まさお君は目の前のお地蔵様を見上げました。お地蔵様は、いつものように優しく微笑んでいます。

「お地蔵様ありがとう」

まさお君はお地蔵様におじぎをすると、不思議な丸い石をそっとハンカチで包みました。
薄暗くなった帰り道、落ち葉がガサガサと音を立てています。
ヒュー、冷たい木枯らしがまさお君のほおに吹きつけますが、心はとても温かでした。

『あき子の病気が治るかもしれない』

まさお君は、何だか嬉しさがこみ上げてきました。


【第3部 ふしぎな石とあき子の回復】

 次の日、まさお君は学校が終わると、早速お地蔵様からもらったその石を持ってあき子ちゃんのいる
病院に行きました。あき子ちゃんは、あまり顔色もよくなく、つまらなさそうにベッドで寝ていました。
それでも大好きなお兄ちゃんの顔を見るととても嬉しそうです。
お母さんは、まさお君が来るといつも笑顔で迎えてくれますが、やはりあき子ちゃんのことが心配なのでしょう。
あまり元気がありません。

「あき子、今日はね、あき子のためにお兄ちゃんがいいものを持ってきたんだよ」

まさお君はベッドに近づくと、ハンカチで包んだ小さな丸い石を見せました。

「この石はね、お地蔵様からもらった不思議なおまじないの石なんだ。あったかいだろう」

あき子ちゃんは、そっとその石にさわりました。そして驚いて言いました。

「本当だ。あったかいね」

「あき子はね、毎日この石をお地蔵様だと思って、そっと手で包んで病気が治るようお願いするんだ。
 そうすれば、あき子の病気はきっと治るから」

あき子ちゃんは、丸い目をしてお兄ちゃんを見つめていましたが、病気が治ると聞いて嬉しかったのか大きな声で

「うん」

と返事をしました。それから、ベッドの中で、あき子ちゃんは、毎日、石に話しかけました。

「不思議な石さん、あったかいね。お兄ちゃんみたい。早くあき子の病気を治してね」

小さな丸い石が、あき子ちゃんのベッドに届いてから何日か過ぎると、
少しずつあき子ちゃんの顔色が良くなってきました。そして食欲も出てきました。
あき子ちゃんがその石に触れるたびに、まるでお兄ちゃんの優しい心があき子ちゃんの
体の中に入っていくみたいです。お母さんは、あき子ちゃんが少しずつ元気になってくるのを見て
驚いたり喜んだりです。そして、妹思いのお兄ちゃんに、何度も心の中で

『ありがとう』

と言いました。お兄ちゃんの妹を思う優しい心があき子ちゃんの病気を少しずつ少しずつ治してくれているようです。
しばらくすると、あき子ちゃんはとても元気になってきました。
お父さんもお母さんも、そしてお医者さんまでもが驚いています。

 お日様の光が柔らかくなった春、桜のつぼみがふくらみ始めた頃、
あき子ちゃんはすっかり元気になり退院する事ができました。

「ただいま」

あき子ちゃんは、お母さんと一緒にあふれんばかりの笑顔で家に帰って来ました。
まさお君は、あき子ちゃんが入院していた長く辛かった日々を思い出しました。

『あき子が治って本当に良かった』

優しいお兄ちゃんは心からそう思いました。まさお君はお地蔵様に何度も何度もお礼を言いました。

「お地蔵様ありがとう。お地蔵様のおかげで、妹の病気が治りました。これからも妹のことをお願いします」
「わしが治したんじゃない。お前の妹思いの優しい心が病気を治したのじゃ。
 いつまでもその優しさを忘れないように」

お地蔵様はそう言っているようでした。あき子ちゃんが退院すると、又四人の楽しい生活が始まりました。

 それから十数年の月日が流れました。まさお君は立派な青年になり、あき子ちゃんは、
明るく笑顔の素敵な女性になっていました。あき子ちゃんが、お兄ちゃんからもらった不思議な丸い石は、
あれからどうなったのでしょうか。不思議な石は、あき子ちゃんが退院してからしばらくの間、
あき子ちゃんの家に大切に置かれていました。あき子ちゃんはその石を見るたびに思い出します。
辛かった病院での生活、病気が治って退院できた嬉しさ、そして何よりもお兄ちゃんの優しさ、
自分の為に暑い日も木枯らしの吹く寒い日も毎日お地蔵様にお願いしてくれたお兄ちゃん。
石を見るたびに、あき子ちゃんの心は、感謝の気持でとても温かくなりました。
けれどもある日、ふとあき子ちゃんは思いました。

『この石のお陰で私は助かったんだ。そして優しい家族とこんなに幸せに暮らしている。
 世の中には辛い思いをしている人もたくさんいるだろう。この石はきっとその人達の役に立ちたいと思っているはず』

あき子ちゃんは自分がもらった健康と優しさを、他の人にも分けてあげたくなりました。

『この不思議な石を、お地蔵様に返さなければ…』

しばらくすると、その丸い石は薬師地蔵の前に、元のように置かれていました。

『病気が治ってよかったね。お前のその優しい気持と感謝の心を困っている人にもきっと分けてあげるよ』

お地蔵様はそう言っているようでした。



【第4部 幸せのバトン】

 優しいお兄ちゃんだったまさお君は今、学校の先生をしています。
子供が好きなまさお君は子供達の人気者です。

「お早う!」

今日もまさお君は子供達に声をかけます。

「先生、お早うございます」

元気のいい子供たちの声が返ってきます。妹のあき子ちゃんにあげた優しさを、
今は大勢の子供達にあげています。優しさはまるで魔法のようです。
優しさと愛情に包まれて育った子供達は、自分の持っている力をどんどん伸ばします。
教室の中は、明るく誰もが持っている優しい心の芽が伸びていきます。
やがてその芽は(思いやり)という、とても大切な花を咲かせます。
まさお君は子供達の心の中に(思いやり)の花を咲かせる事の出来るとても素敵な先生になっていました。

 一方、あき子ちゃんは学校を卒業すると老人ホームで仕事をするようになりました。
老人ホームには、体の不自由なおじいさんやおばあさんが沢山います。
気むずかしそうで、いつもしかめっ面をしているおじいさん。
淋しそうに毎日ぼんやりと外ばかり眺めているおばあさん。そんなおじいさん、
おばあさんにあき子ちゃんは優しく声をかけます。

「おじいちゃん、寒くなってきたね。そろそろ窓を閉めましょうね」

初めはしかめっ面のおじいさんも、あき子ちゃんの優しい声でいつの間にか顔がほころんでいます。
あき子ちゃんの周りにはいつも笑顔がありました。笑い声が響きました。
色んな思いを抱えたおじいさんや、おばあさんの心の中に、あき子ちゃんは優しい灯をともします。
あき子ちゃんはどうしてみんなを幸せにする事ができるのでしょうか。
それは幼い頃、お兄ちゃんからもらった優しさを持っていたからです。
優しさのリレーをしているのです。優しさのバトンをお兄ちゃんからもらい、今度はそのバトンを、
老人ホームにいるお年寄りに手渡しているのです。バトンには、
大きな大きな愛という温かさが詰まっていたのかも知れません。
街中にそんなバトンがたくさんあったら、みんな笑顔で優しくなれそうですね。



▲▲▲▲ 2014年1月28日 完結 ▲▲▲▲