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作品名:優しさのパティシエール
シリーズ:パティシエールシリーズ(第2部)

       パトリシアの初恋①
原作:清原 登志雄
校正:橘 はやと / 橘 かおる
イラスト:姫嶋 さくら
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春のさわやかな風。花びらが舞う花畑の中、少年はぼんやりと立っていました。
花畑の中央には清らかな小川がチョロチョロと春を告げるように流れ、水辺の花々が風に揺れています。
少年は花畑の向こうに花輪をかぶった若い美しい女性が手招きしているのが見えました。

「僕を…呼んでいる」

初めて会う女性に不思議と怯えるような心はありません。足は自然と女性の方へ向かっていきます。
花畑を進みながら少年は、何か不思議な気持ちでした。

 女性からは気品と光があふれ近づくと、彼女は大きな白ユリの花を持ち優しく見つめています。

「よく、ここにきましたね。私は貴方の深い悲しみを知っています。貴方は、若い方ですが、苦しくても、素晴らしい人生を歩んで来ました。
次こそは本当の幸せをつかんでほしいと私は思っています」

 少年は、何故か心の中を見透かされているようで、少し驚きましたが、やがて女性に尋ねました。

「あ…貴方は誰…ですか?」

 女性は静かに微笑み

「私ですか? 私は春の女神アプロディーテーです」

 風が吹き花々が揺れています。少年はしばらくアプロディーテーを見つめていましたが、やがて寂しそうにうつむき、

「僕は結局、何もできないダメな人間でした」

 アプロディーテーは少年に持っていた白ユリを握らせると静かに言いました。

「貴方には、悲しい過去があるからこそ、魂が深いのです。その悲しみを取り戻すべく、素晴らしい人生を歩みなさい。
 努力しても報われないのであれば、それは貴方のせいではありません」

 少年を静かに見つめながら、

「いいですか、愛の力は偉大です。愛の力を知った時、真に魂の平和と自分の生きがいを見出すでしょう」
「僕の…生き甲斐って…なんだろう」

 アプロディーテーは頬をなでて

「自分の弱さを認めて自分を愛し、他人を愛し、そして人々を幸せにするのが愛の真実です。覚えておきましょう」

 少年の悲しみを洗い流すように小川のせせらぎがいつまでも響いていました。


 20年後…ここは湖の中州に建てられた立派な伯爵のお屋敷。広い部屋の中で伯爵家の御曹司シャルルは
美しいハープの音色を聞きながら紅茶を飲みケーキを食べていました。シャルルは、そのケーキの美味しさにため息をつきました。

「このレアチーズケーキはとても美味しい。上に載っているブルーベリージャムとレモンの甘酸っぱい香りが紅茶と良く合う」

 メイドは窓を開け、空気を入れ変えると、戻って来て言いました。

「シャルル様のお気に召して本当に嬉しいです」

 シャルルはケーキを見ながら…

「このレアチーズケーキは甘酸っぱくて上品な味と甘さがあるいったいどこで買ったの?」

 メイドは笑顔で嬉しそうに

「この屋敷の東にアプロディーテーの森があります」

 シャルルは頷きながら

「うん。清流が流れている森があるね」
「あの森の中に小さな洋菓子店があります。確か、“ディーフェント イツ フィーユ”というお店です。
 その店を仕切っている女の子が、とても美味しいケーキをつくるパティエールだと多くの人から評判なんです。
 その子は、おそらくシャルル様と同い年か少し年下のような感じでした。素敵な女の子でお店のも人気があるようです」

 シャルルは窓から顔を出しました。窓先に小さな花が並んでいます。

「僕より少し年下で、1人で店を仕切っている女の子っていったいどんな子だろう」

 外はまだ2月だというのに日が暖かく、春が直ぐそこまできているような様子でした。
小鳥がチイチイと鳴きながら風に吹かれて森へと飛んでいく様子を、ぼんやりと眺めていました。

 アプロディーテーの森にある“ディーフェント イツ フィーユ”。この日もお客様が次々と来店します。

「いらっしゃいませ。お客様、今日は何をお求めですか?」

 パトリシアは、元気に挨拶しました。若い女性がバレンタインデーのチョコレートを探しています。
 父と娘は、誕生日のケーキをどれにするか話し合っているようです。パトリシアは笑顔でチョコレートやケーキを選んであげます。
 お客様は品物を買い求めると、店を出て行きました。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 カラーンカラーン。玄関の呼び鈴が小さな店内に響き渡りました。客が途絶え静かな店内でパトリシアはため息をつきました。両手を見ながら、

「私は貧乏で、もうすぐバレンタインデーなのに、働きづめ…」

 窓からは手をつないで仲良く帰る幼い男の子と女の子が見えます。パトリシアは2人が見えなくなるまで見つめていましたが、

「いいなあ。私もお金があったら、学校へ行けるのに…。お友達を沢山作りたかった」

 カレンダーを見て、

「もうすぐバレンタインデーか…。バレンタインが過ぎたら春が来るけど…私の春はいつ来るのだろう…
 働いても、働いても中々、生活は楽にならない。神様…寂しい」

 パトリシアは森を抜けた湖の上に立つ伯爵の屋敷をおもい浮かべました。

「お金持ちは、働いても、働いても殆んどお金が残らない私の事、どう思うんだろう。どうして私はいつまで経っても、貧乏なのかな…」

 寂しそうに1人つぶやくパトリシアの様子を鼠のピーターがウィンドウの陰からこっそりとみつめていました。

「パトリシアちゃん…いつも働いてばかりで可哀そう。なんとかしてあげたいなあ。でも僕じゃ何もできそうにないし…う~ん、どうしよう」

 ピーターは考え込んでいましたが、オシャレな服を着て楽しそうに通り過ぎて行く男女を見ると

「そうだ、ロワーレの町に出かけたらパトリシアちゃんに似合うアクセサリーが見つかるかもしれない。
 アクセサリーを持って来たらパトリシアちゃん喜ぶかも…」

 ピーターはお金を握りしめて、ロワーレの町へ駆けだしていきました。
 伯爵のお屋敷ではケーキを食べ終えた、シャルルがクローゼットからコートを取り出し、綺麗に磨かれた鏡の前にたっていました。メイドが入って来て…

「あら、シャルル様。もう3時を過ぎていますよ。今からお出かけですか?」
「うん、ちょっとアプロディーテーの森まで出かけてくる」

 そう言うと部屋のドアを開け、白い階段を下りていきます。ロビーの中央には、多くの民衆から愛された祖父の像がありました。

「お爺さま、少し出かけてきます」

 光の射すロビーに建つ祖父の像を見つめていると、父の伯爵がシャルルに近寄って来ました。父は心配そうに、

「シャルル。上着を羽織って何処へ行くつもりだ?」

 シャルルは父に頭を下げると、

「はい。アプロディーテーの森へ出かけてこようかと…」
「ふむ、それほど遠くはないが、お前は少しからだが弱い。森ではまだ少し雪が残っている。迷子になるなよ」

 シャルルは背筋を伸ばし

「はい、気をつけて行ってきます、出来るだけ早く帰ってきます」

 シャルルは扉を開けロビーを出て行きました。庭に出ると湖の風が吹いています。
庭を歩いて行くと、子ネズミがウロウロしているのが目に止まりました。シャルルは腰をかがめ、

「どうしたんだい? あまり見かけない顔だけど」

 子ネズミは驚くと同時に恥ずかしそうに、言いました。

「森から出て町中を歩いていたら、こんな大きな庭にはいりこんでしまって迷子になってしまったんです」

 シャルルは笑いながら、

「そうか、この庭は結構広いからね。僕は今からアプロディーテーの森まで出かけるつもりなんだけど、よかったら一緒に行こうか?」

 子ネズミは明るい顔で

「は、はい。ぜひ連れて行ってください」

 シャルルは子ネズミと一緒に、装飾された鉄製の門の前へつきました。衛兵がシャルルに気づき…

「シャルル様、お出かけですか?」
「うん、ちょっとアプロディーテーの森まで行ってくる」
「分かりました、森の中は、まだ寒いのでお早めにお帰り下さい」

 そう言うとギィーと音がして、衛兵が鉄の門を空けました。
子ネズミとシャルルが楽しそうに出かけていく様子をロビーから、父とメイドが見つめていました。

「フィレンツェ伯爵様。シャルル様は伯爵様の御曹司様でいらっしゃるのに動物にまで、分け隔てなく接しますね。
 多くの人々から愛される…そんな未来が見えるような気がします」

 父は門を抜け森へと出かけていくシャルルの様子を見ながら、

「だが、あの子は体が弱く自分に自信がもてない様だ。なんとかせんと。祖父が死んでからは特に元気がない」

 メイドは頷くと

「お爺さまは、民衆に愛された方でしたからね。それにシャルル様をとても可愛がっていましたし…シャルル様、お気をつけて」

 メイドはいつまでもシャルルの後ろ姿を見送っていました。



15分後、アプロディーテーの森の中へ2人は入って行きます。シャルルは子ネズミに、

「そう言えば、君はこの森から来たって話していたよね?
 この森に“ディーフェント イツ フィーユ”という洋菓子店があると聞いたのだけど、知らないか?」

 子ネズミは

「ああ…パトリシアさんのお店ですね。よく知っています。この道をまっすぐ行くと“ディーフェント イツ フィーユ”がありますよ」

 2人は木漏れ日の中を歩いて行きました。カカカカ…チイチイ。
小鳥のさえずりが聞こえる道を歩いて行くと“ディーフェント イツ フィーユ”の看板が見えてきました。

「あのお店がそうです」

 子ネズミが言いました。シャルルは子ネズミに、

「ありがとう、君のお陰で、お店の場所が分かったよ」

 シャルルがお礼を言うと、ネズミは頭を下げて

「いえいえ、僕の方こそ助けて頂きありがとうございます。あの…お名前を教えて頂けませんか?」

 シャルルは笑顔で、

「僕はフィレンツェ家の息子でシャルルと言います」

 子ネズミは驚き

「え! あなたは、伯爵様の御曹司様だったんですね、ありがとうございました」
「君こそ大丈夫だったかい? 疲れていたように見えたけど…名前は?」
「僕はピーターと言います。シャルルさん…いやシャルル様ありがとうございます」

 2人はその場で分かれ、シャルルは店に向かって歩いて行きました。店の近くまで来ると、ほっそりとした栗色の髪の女の子が、
森の鳥や動物達にケーキやお菓子を配っています。シャルルは女の子の可愛さに思わずドキドキしました。

『うわー色白でカワイイ子だなあ。動物たちにも好かれているようだし、優しそう。栗色の髪も可愛い…』

 シャルルは木の陰からそっとパトリシアを見つめていました。パトリシアは、

「リスさん、今日も来てくれたのですね。今日は材料が余ったのでクッキーを作りましたが食べますか?」

 笑顔でリスの親子にクッキーをあげています。シャルルは顔を少し赤くしながら、

『素敵な子だな…ピーターが話していた、パトリシア…ってあの子の事かな? 声を掛けてみたいけど…』

 シャルルがもじもじしていると、後ろから軽やかな声が聞こえてきました。

「シャルル様、勇気を出して自分に素直になりましょう」

シャルルは自分の心の中を見透かされたようでドキリとして振り返りました。しかし誰もいません。
すでに日が陰って来て、少しずつ風が冷たくなってきました。シャルルはコートの襟元を引き寄せました。
パトリシアは店の中へと入って行きました。シャルルは父親に早く帰ってくるように言われた事を思い出し、

「何か不思議な声だったな…。日が陰ってきたし急いで帰ろう」

 シャルルは急ぎ足で屋敷へ帰って行きました。アプロディーテーの森は、まるでシャルルを見つめている様に静かでした。



▲▲▲▲ 2014年4月29日 次回に続く ▲▲▲▲